大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和51年(わ)794号 判決 1978年5月17日

主文

被告人藤岡泰幸を懲役四年六月に、被告人藤田元を懲役三年六月に各処する。

被告人藤岡泰幸に対し、未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

訴訟費用中、国選弁護人に支給した分は、被告人藤岡泰幸の負担とし、証人福井清市郎、同川上修平(第四、第五回各公判期日分)、同植戸秀一、同大南億行、同小倉洋一(第七、第八回各公判期日分)に各支給した分は、その二分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人藤岡泰幸は、

(一)  昭和五〇年八月二〇日午後一〇時三〇分頃、普通乗用自動車を運転し、友人の今西寿夫が運転して友人の青野学が同乗する普通乗用自動車と連れ立つてドライブ中、兵庫県三木市志染町広野字大廻西乙五八二の一四番地神戸電鉄緑ヶ丘駅前に至つたとき、同駅に一人で電車待ちをしていた平地たか子(当時二〇年)を認めるや、右青野、今西と共謀のうえ、同女を強姦しようと企て、被告人藤岡が、あたかも同女に面識があるかのごとき言動を用いて近づき、右青野が「電車より車が早いから送つたるわ、ええから行こう」等と詐言を弄して、同女を右今西運転の自動車に同乗させたうえ、自宅と異る方向へ行くことに不安を感じた同女が「帰らしてほしい」と哀願するのに応じようとせず、翌二一日午前一時頃、人気のない山中である神戸市北区山田町小部東山六一番地灘神戸生活協同組合生協学校建設用地内に同女を連れ込み、同所において、被告人藤岡が同女に対し、「いうことをきかなしばくぞ、すんだら帰してやる」等と申し向けて脅迫し、被告人藤岡運転の自動車後部座席に同女を押し込み、「いやや、帰らしてくれ」と哀願する同女の顔を平手で一回殴打したうえ、「自分で服を脱げ、ええ加減に脱がんかい、服を破つてしまうぞ、裸のまま放つて帰るぞ」等と申し向け、やむなく全裸になつた同女を同所に押し倒し、同女の反抗を抑圧したうえ、被告人藤岡、右青野の順に強いて同女を姦淫し、

(二)  兵庫県公安委員会から昭和五一年五月七日より九〇日間の運転免許の効力の停止を受け、その停止期間中であるのに、同年七月一三日午後三時四五分頃、神戸市垂水区平野町西戸田六八八番地付近道路において、普通乗用自動車を運転し、

(三)  右第一の(二)の日時、場所において、同所は兵庫県公安委員会が道路標識等によつて最高速度を五〇キロメートル毎時と定められているのに、右最高速度をこえる七七・六キロメートル毎時の速度で、右普通乗用自動車を運転し、

(四)  公安委員会より昭和五一年一〇月一五日運転免許の取消処分を受け、その後運転免許を受けないで、昭和五二年一月二三日午後一一時三〇分頃、神戸市北区八多町上小名田ココノ木一一四四の三番地付近道路において、普通乗用自動車を運転し、

第二  被告人藤岡泰幸、被告人藤田元は、

(一)  福井清市郎、吉平敬一と共謀のうえ、昭和五二年一月一五日午前零時三〇分頃、兵庫県三田市四六二番地兵庫県立有馬高等学校体育教官室において、右吉平が同校校長畑中芳夫管理にかかるテレビ一台(時価約一万円相当)を窃取し、

(二)  昭和五二年一月二三日午後一一時三〇分頃、神戸市北区八多町上小名田字ココノ木一一四四の三番地付近路上において、被告人藤岡が運転する普通乗用自動車に被告人藤田、福井清市郎ほか一名が同乗して西進中、折から大植茂治(当時二一年)運転の普通乗用自動車が追従してくるのを認めるや、同車を停車させて同人から金品を強取しようと企て、右福井清市郎と共謀のうえ、急に被告人藤岡がその運転する右自動車を道路中央部に停車して右追従してきた右大植運転の自動車を停車させ、被告人藤岡、被告人藤田及び右福井が、運転席内の右大植の顔面、胸部等を手拳で数回殴打し、その腹部等を数回足蹴りし、同人の着衣をつかんで同人を車外に引きずり出して同人運転の右自動車の後方まで同人を連行し、同所において、同人の顔面等を手拳で数回殴打し、あるいはその顔面、腹部等を数回足蹴りし、その際同所南側の約二・三〇メートル下の田圃に転がり落ちた右大植が、這い上つてきたのに対し、被告人藤岡及び右福井がさらに右大植の頭部、顔面等を手拳で殴打し、あるいは足蹴りする等の暴行を加え、よつてその反抗を抑圧したうえ、「金持つとるか、時計ぐらいしとるやろ」等と申し向け、右福井が右大植から腕時計一個を強取し、その際右暴行により、同人に対し、加療約七日間を要する顔面打撲傷を負わせ

たものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人藤岡泰幸の判示第一の(一)の所為は、刑法一七七条前段、六〇条に、判示第一の(二)及び第一の(四)の各所為はいずれも道路交通法一一八条一項一号、六四条に、判示第一の(三)の所為は、同法一一八条一項二号、二二条一項、四条一項、同法施行令一条の二・一項に、被告人藤岡泰幸、被告人藤田元の判示第二の(一)の所為は、各刑法二三五条、六〇条に、判示第二の(二)の所為は、各同法二四〇条前段、六〇条に、それぞれ該当するところ、被告人藤岡につき判示第一の(二)、(三)、(四)の各所為について所定刑中いずれも懲役刑をそれぞれ選択し、被告人両名につき判示第二の(二)の所為について所定刑中有期懲役刑をそれぞれ選択し、被告人藤岡の判示第一の(一)、(二)、(三)、(四)、第二の(一)、(二)の各罪、被告人藤田の判示第二の(一)、(二)の各罪は、それぞれ同法四五条前段の併合罪なので、被告人両名につき、同法四七条本文、一〇条によりいずれも最も重い判示第二の(二)の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽した各刑期の範囲内で、被告人藤岡を懲役四年六月に、被告人藤田を懲役三年六月に各処し、被告人藤岡につき同法二一条により未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により主文第三項掲記のとおり被告人両名にそれぞれ負担させることとする。

なお、本件強盗致傷の事実(判示第二の(二)の事実)につき、

(一)、被告人藤岡、被告人藤田及び右各被告人の各弁護人は、被告人両名には、いずれも本件被害者大植茂治から金品を強取するという意思はなかつたものであり、金品強取の共謀をした事実はなく、右大植に加えた暴行は金品強取の意図に因るものではないと主張するのであるが、右の事実に関する前掲被告人藤岡の検察官に対する昭和五二年二月一日付、同年二月八日付各供述調書、被告人藤田の検察官に対する同年一月三一日付、同年二月七日付、及び司法巡査に対する同年一月二五日付、同年一月二八日付各供述調書、証人福井清市郎の当公判廷における供述(なお被告人藤岡については、同被告人の司法警察員に対する昭和五二年一月二八日付、同年二月七日付各供述調書)等関係各証拠によると、被告人両名及び右福井清市郎は、被告人藤岡の運転する自動車に被告人藤田及び右福井が同乗して判示の場所を走行中、被告人藤岡が同自動車に追従している本件被害者大植茂治運転の自動車に対して不快感を覚え、「後ろの車、気が悪いのお、しばいてしまおうか、金になるしの。」と言つたところ、被告人藤田及び右福井が「ほならやろうか」等と言つて賛同したこと、そして、その時、被告人両名及び右福井は、右大植に暴行を加え、反抗を抑圧して同人から金品を奪取する意図を抱き、その旨の共謀がなされたこと、そして右の意図に基づいて右大植に対し判示の如き暴行を加えたうえ、被告人藤岡と右福井とが右大植に金品を要求し、被告人藤田もその傍らにいて右金品要求及びこれに対する被害者の応待状況を見守つていたことが、それぞれ認められるのであつて、右認定に反する被告人両名の当公判廷における各供述部分は、右各証拠に比照して未だ措信し難い。もつとも、被告人藤岡は、当公判廷、及び司法警察員に対する昭和五二年一月二四日付、同年一月二八日付、検察官に対する同年二月一日付各供述調書中で、右福井が右大植から腕時計を奪取するのを制止するような発言をした旨を供述しているが、この点を裏付ける他の証拠がないばかりか、被告人藤岡の検察官に対する昭和五二年二月八日付、及び司法警察員に対する同年二月七日付各供述調書において、右供述は少しでも罪を軽くするために嘘を言つたものである旨述べているところであつて、到底信用するに足りない。

よつて、被告人両名が右大植から金品を強取する意図を抱き、右福井との間にその旨の共謀をなし、右の意図に基づいて右大植に対し判示の如き暴行を加えたものであることが十分首肯されるので、被告人両名及び弁護人の右主張は理由がないものというべきである。

(二)、被告人藤岡の弁護人は、被告人藤岡に右大植に暴行を加えて金品を取得しようとする意図があつたとしても、それは恐喝の犯意を抱いていたものに過ぎないと主張するのであるが、前記各証拠によれば、被告人らが本件被害者大植茂治に加えた暴行は、右大植が運転していた自動車を停止させたところ、運転席に坐つている同人に対し、被告人藤岡が運転席側の入口から手拳で右大植の顔面、胸部等を二、三回殴打し、その腹部を二回足蹴りし、右福井清市郎が助手席側の入口から右大植の腰部を一回足蹴りしたうえ、被告人藤岡及び被告人藤田が、右大植の手、首筋あるいは着衣をつかんで車外に引きずり出して、同人を同自動車の後方に連行し、同所において被告人藤岡が右大植の顔面を二、三回手拳で殴打し、その腰部等を皮短靴履きの足あるいは膝で三、四回足蹴りし、被告人藤田が右大植の顔面、胸部をそれぞれ右手拳で各一回殴打し、右福井が右大植の顔面、腹部等を殴打し、あるいは足蹴りする等し、その際右大植が同所南側の約二・三〇メートル下の田圃に転がり落ち、這い上つてきたところを、さらに被告人藤岡及び右福井が、その頭部、顔面等を手拳で殴打し、あるいは足蹴りする等したというものであつたことが認められ、右犯行は、深夜人通りもない山野に囲まれた場所で行われたものであることを併せ考えると、右暴行の程度は本件被害者である右大植茂治の反抗を抑圧するに足りるものであつたというべきであり、被告人藤岡は、右大植から金品を奪取するために右のような程度の暴行が加えられていることを認容していたものと認められるので、強盗の犯意を有していたことが十分首肯される。従つて被告人藤岡には恐喝の犯意しかなかつたとする右主張は採用できない。

(三)、被告人藤田の弁護人は、被告人藤田に本件強盗致傷の共犯者の刑責が認められるとしても、その犯行関与の程度に照らし、幇助犯の責を負うに過ぎないと主張するのであるが、前記認定の如き、被告人藤田が被告人藤岡らと本件被害者大植茂治から金品を奪取することを共謀したときの犯意、その実行行為として右大植に暴行を加えた際の被告人藤田の行動等に徴すると、共同正犯としての刑責を免れ得ないものといわざるをえないので、右主張は採用できない。

よつて、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例